なんやかんやで

​ペットがいつも側にいます

Ran

ロシアンブルー♀

​2010.1.20

繊細だけど大胆。

​かなりのツンデレ

Soran

アメリカンカール♂

2011.7.2

猫とは思えないほど

​ベタベタの甘えん坊

​Betta

 

タイの国魚のベタを

2018年年末から飼い始めました。

​生徒さんの心を癒す存在になってもらうべく、超初心者の為日々飼育方法勉強中です

 

 

【講師紹介】藤井 ゆかり

      大阪市生野区林寺町生まれ(母が大阪出身・父は山口)

        2歳前まで大阪で過ごしていたので根は大阪人っぽい

        加えてB型・牡牛座

        生き物を飼うのが好き。特に猫・犬・文鳥・蘭鋳

        好きなピアニスト

          クリスツィアン・ツィメルマン 

          原田英代

        好きな作曲家

          シューベルト、シューマン

              

      山口芸術短期大学音楽科ピアノコース卒

      元ヤマハPMS大人のピアノコース講師

      短大在学中よりピアノ指導を始める(指導歴36年)

      日本ギロック協会 山口PLIM支部 代表

      原田英代、山根浩志 各氏に師事     

 

【家族】   A級テニス教師の夫 フジイテニスアカデミー経営

      大阪芸術大学で声楽勉強中の娘

                    との3人家族

 

【使用楽器】YAMAHAグランドピアノ G5(廃盤のピアノですが、音色が円やかで大好き)

                       CASIO 電子ピアノ Privia PX-830

 

【教室所在地】山口県山口市大内中央2丁目17番26号

       駐車場2台分あり 教室は防音室です

​こんな感じでした。木目が綺麗

​私のピアノ遍歴とミッション

3歳よりピアノを始める。

外遊びから家に戻るとアップライトピアノが置かれていてびっくり。

幼稚園を経営している父方の親戚から中古で譲っていただいたとか。

赤い木目のマホガニーで脚に四角い飾りがあって好きでした。

最初に習いに行った男性の先生はレッスンに行ってもスキーに行って留守だったりして教えていただいた覚え全くなし。

すぐにご近所の音大出たての優しいピアノの先生にかわりました。

​その時の教材は「いろおんぷ」で、指にカラフルなモールを付けて弾く事がとても嬉しかったのを覚えています。

​5歳で広島から徳山市(現周南市)へ引っ越し、小学2年夏まで過ごす。

小2秋から防府市へ。 ピアノは引っ越しなどで何人かの先生を変わりましたが、ゆる〜く続けていました。

中学を機に今まで習っていた優しいピアノの先生から受験生を指導される厳しい先生に変更。

そこで、

 HANON、スケール練習に毎日1時間以上。

 練習時は指を1本1本高く上げて下へ打ち下ろす。

 先生の許可あるまでペダルは付けない。

 片手ずつの練習はもちろん、両手でも最低30回以上。

 練習回数が多ければ多いほど上達する。

 親指の付け根を出す。

 腕の脱力。

 バッハでは手首を絶対に動かさずに固定。

 短音階、何で3種類あるのか分からないけど、聞き辛い。

 インヴェンションなど主題が出た後、どうすれば良いのか聞きづらい。

 とにかく、先生の横ではピリピリ、ピリピリ。

 なので、レッスン終わって玄関出た途端、緊張解けてレッスンのこと覚えていない。

などなど、それまでの緩〜いレッスン・練習しかしてこなかった自分にとっては青天の霹靂。

指の形がなってないと怒られ、手を叩かれ、練習しないと上手になれない。とにかく回数こなしなさい。

と、先生と先生のお母様からも懇々と諭される始末。

練習する気が全く起きず、もちろん下手のまま。

どうして練習したくないのかだろう?

手も痛いし音も汚いし、楽しくないし。

でも上手な先輩後輩は黙々と練習何時間でもやっている。

でも、練習したくないなあ。。。。

30回も100回もやる気でないよ。

練習習慣ないからなあ。。。

自分はダメだなあ。。。

そう思いながらも、

でもでもそんなに練習している人達の演奏って根性弾きが多くって、

聴いててつまらないし、疲れるよねぇ。  と生意気に言ったり。

そんなこんなで、ダラダラとレッスンは行くけど練習はほっとんどやらない生活。

高校に入学すると、硬式テニスがやりたくて、ついにピアノをやめてしまいました。

が、夏休み明けに体調を崩してテニス断念。今から思うと熱中症だったんだと思いますけど。

やめてしまった罪悪感から1年ピアノの蓋を開ける事ができませんでした。

それでも2年から違う先生の元でピアノを再開。広島の教授の元へも1年通いましたが、

結局地元の芸術短期大学へ進み、卒業しました。

結婚するまで徳山市の楽器店に所属して多い時には40数人の個人レッスンを続けていました。

教える立場になり、練習嫌いで怠けていた自分を反省し、

生徒さんには「練習習慣(単調な繰り返し練習に耐えられる力)をつけてあげなくては!

何よりそれが重要!ピアノの前に長い間座っていられる強い心をつけることが愛情!」

毎日練習、反復練習、ハイフィンガーをうるさく、本当にうるさく指導するようになりました。

 怒るこちらにも、ものすごくエネルギーが必要。

 こんなに怒るのは「あなた」の事を思えばこそ。

 練習習慣をつけないと私のようにテクニックに自信がない人間になる。

 脅してでも練習させよう。

 練習して指が動くようになれば音楽を楽しめるはず。

なんて、今思えばものすごく迷惑なレッスンしてたと思います。

あの頃、教えていた生徒さんたち、私だけ一生懸命が空回りして本当に申し訳なかったと思っています。

何人かピアノ嫌いにしてしまったのではないかと。本当にごめんなさしい。

そうはいっても 私は根性弾きだけでは嫌ではあったので、音楽的な演奏を教えたい。

音楽的な納得いく演奏とはどういう事だろう自分も人も感動できるためには?

そのために、いろんな先生の元でレッスン受けてみたり聴講に行ったり

ピアノ指導者の勉強会で色々学んだり、と試行錯誤して行きました。

転機は、原田英代先生との出会いです。

実は中学生の時、地元の高校生による演奏会を聴きに行った際、

大トリで演奏された女子高生の、他の学生とは全く次元の違う「音楽」を感じ、

もの凄く感動し「あの人の先生に習いたい!」と言ったのですが、いろいろあり叶わなかったのでした。

今でも、高校3年生の原田英代さんがピアノの前に座り、長い髪を右手でパッと背中の方へ流した後に

唇をキュッと閉じて斜め上を見、そして腕を下ろした途端、会場の空気がザアッと変わった事を思い出します。

深い音、儚い音、納得のいく心地よい「音楽」を聴かせていただきました。

それから私にとって「原田英代さん」は憧れの方となったのでした。

そしてその憧れの女神とも言える原田先生に33歳の時にPTCのアドバイザーとして近くでお話を伺う機会を得、

さらに38歳でようやくレッスンを受ける勇気を出し、

40歳で原田先生監修の秋吉台マスタークラス受講できる、という奇跡があり、

現役有名国立私立音大生、留学生、地元の実力派ピアニストの方々と共に

ロシア音楽院の教授陣のレッスン聴講、原田先生のレッスン受講、様々な講義聴講と

2週間芸術村に滞在し、24時間ずっと音楽だけの事を考える機会を得ました。

ピアノを演奏することはただ、指が回れば良いというものではない。

和声を中心に 楽器の響きやドラマ性などあらゆる角度から曲を分析

楽譜から読み解いて音楽を作り出す その難しさ楽しさを理解は少ないですが、体験することができました。

その講座をその後2度も受講。1回は聴講。

そこに参加させて下さった原田先生、家族には本当に感謝しかありません。

マスタークラスにいらしたYAMAHAの方に、

「この素晴らしい体験を通して、たくさんの良い聴衆を育ててください」

というお言葉がとても印象に残りました。

更に2度目の転機

山根浩志先生から無理のない腕や身体の使い方、垣根を取り払った音楽の楽しみ方、

音楽を通しての自己表現とコミュニケーション、

自分で勝手に垣根や苦手を作る事なく体験してみる

ということを教えていただけるようになりました。

 

闇雲に回数多く練習したところで、間違った身体や指の使い方をしていては

いつまでたっても弾けないし、音も汚いまま。

今までの私が身に付けてしまっていた殻をすこ〜しずつ、すこ〜しずつ剥がしてくださっています。

私自身が体得できた事から生徒さんにもストレスなく演奏できるようお伝えして行きたいです。

お二方の他にも、コーチングとの出会いでさくらみき先生とのセッションを通して

自分の本当にやりたい事とは何か。

​生徒さんに寄り添ってどうレッスンしたいのか

そういった事を学んできました。

指揮者の下野竜也さんの年1回の指揮セミナーでは

ピアニストの末席に参加させていただき、

楽譜を読むとは、楽譜の解釈とは、自分の解釈を人に伝えるには

など、大切な事を10年近く学ばせていただいています。

とはいえ、まだまだ全然・・・・といった状態ですけどね。

自分のこの紆余曲折の体験を元に、

生徒さんたちには目先の成果を追うのではなく、音楽の様々な世界を知っていただき、

 「自分自身も音楽も好きで、

  ”芸術”としての作品理解と演奏を一生楽しめる人」

になっていただくお手伝いをすることがミッションだと思っています。

まだまだ勉強することは多い私ですが、

それらを生徒さんに還元できるように励んでいきます。

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